第四話 風は西から その1
行って来ました。バルト三国。
今回の旅行は夏休みを使って2週間ぐらい。
いつもみたいにチケットだけとって、あとは一人で気のみ気のまま。
今までもヨーロッパを中心にいろんな国に行って来ましたけど、
今回行った国の感想を簡単に述べると、
今まで行った国以上に、とってもエキサイティングな旅行でした。
何がそう思わせるのかというと、
1.今まで行った国で、ここまで英語が通じなかった国はない。(年寄りの人なんかまったくだめ)
2.現地人だと思っていた人達の多くが実は、ロシア人だった。
3.現地のビールは500mlで80円程度で売っているため、飲まなくてはならない。
つまり、学生時分チェコのプラハ、ハンガリーのブダペストにも行ったんですけど、
それ以上に、まだこの三国は東のにおいが残っている国やと言うことです。
(3については、とりあへず関係なし。ていうか、因果関係もおかしいんですけど。)
以前にチェコ、ハンガリーの両国に行った時には、
プラハは、もうすでに西の風が入り観光地化してきていると思ったし、
ブダペストについては、一見観光地化してきているが、一歩路地を入ると、
まだまだ無機質な東の建物が多く存在していたことがすごい印象に残ってます。
でも、それらの国々に比べて、このバルト三国は、
もっともっと東の匂いが強く残っていると思います。
エストニアの首都タリンの街でこんなことがありました。
タリンの街中には、日本でいう中学生位の女の子達が、
あちらこちらで絵葉書やカレンダーを売ってるんです。
はじめ、それはエストニア人だと思ってたんですけど、
ユースで知り合ったロシアに留学していた日本人に聞くと、
それはすべてロシア人であること。
彼女らは、流暢に英語を話すが、出稼ぎでこの国に来ているということ。
また、この国も彼女らを安い労働者として、受け入れてること。
と言ってました。
ちなみに、タリンのユースホステルの人もみんなロシア人。
英語は話せました。
また、こんなこともありました。
たいていのバスターミナルでは、朝小学生くらいの子供が新聞を売り歩いています。
リトアニアのタルトゥという街に朝着いたとき、
小学生くらいの男の子とその妹みたいな小さな子が僕に近づいてきました。
いつもなら、何言ってるかわからないのですぐに追い払っちゃうんですけど、
その男の子は流暢な英語で話しかけてきました。
ちょっとおどろいて、
「ロシア人なの?」って、聞くとエストニアンだと答えます。
売りつけようとする新聞は、エストニア語が読めないからと断っても、
「絵を見るだけでも内容がわかるよ。8クローン(64円くらい)。」といって離れません。
かなりひつこかったのですが、ようやく離れても他の人に対して、その男の子は、
必死に新聞を売ろうとしています。妹はだまって(多分英語は話せない)、
新聞をもってお兄ちゃんの後をついてちょこちょこ動きます。
妹には、その付いてく様に必死さを覚えました。
なんだか、その二人の姿が健気に思え、もう一度その兄を呼び寄せ、
「新聞は、エストニア語が読めないから要らない。けど、二人そろって写真をとらせ
てくれたら5クローンあげるよ。」
と(決して流暢といえない英語で)言うと、
その男の子は満面の笑みを浮かべ妹の手を引き、ポーズをとりました。
そして、写真を撮りお金を渡すとうれしそうに受け取り、
またそそくさと違う人に新聞を売りに 行きました。
そしてその後、僕は観光のみちすがら、その写真をデジカメで見てショックを受けました。
確かにお兄ちゃんは笑っているんですけど、妹の顔を見ると何か複雑そうな顔をしてます。
まるで、俺を下げ荒むかのように。
お兄ちゃんは、その現実を(生活をしなければならないということを)妹もいるため
に感情を抑え肯定的に受け入れようとしてる。
しかし、妹はそこまでの生活の切迫がまだ理解できないためにその現実を
人として本 能として受け入れがたく、 感じている。
などど、勝手に想像すると胸がいたたまれなくなりました。
その日の夕方その町を発つためにもう一度バスターミナルに行ったのですが、
当然彼ら新聞売りの少年達はそこにはもういませんでした。
2004.12.5(2003.7.15の文章に加筆)